ウラノス

暗闇の大地に雫が落ちた。
彼はそこから誕生した。
黄金色の長い髪に翡翠の瞳、沢山の人々から愛される美貌を
備えた幼き彼には不思議な力が在った。
彩りのない大地に口付ければ鮮やかな花々が咲き乱れ、
人恋しくなれば何処からか蝶や鳥が集い、宴を始める。
悲しみで泪を流せば、枯れた砂漠ですら泉が湧き出す。
母・ガイアはこの恵まれ過ぎた子・ウラノスに
不安を感じていた。
彼が何れこの地を支配するであろう事は予測出来た。
そして、その先に待つ混沌とした未来さえも。


やがて彼は成長し子宝にも恵まれ、オリュンポスを統治する王となった。
末息子のクロノスは彼に似て容姿端麗な少年であり、溺愛していた。
「僕も父上のような素晴らしい存在になりたい」
彼もまた、神のような存在である父を尊敬していた。

彼等は巨人(ティターン)族と呼ばれ、三メートルを優に超えた
体格をした不老不死の一族である。
一つ眼の単眼巨人(キュクロプス)や、
多数の腕を持つ百腕巨人(ヘカトンケイル)
などがおり、彼等は成長も速く、数ヶ月で成人の体格にまで近付く。
中でもウラノスのような特殊な能力を持った者を神(しん)族と称している。
しかし、ウラノスとクロノスだけは二メートルを超えず小柄だ。


或る日、クロノスは巨人族の兄の一人に奇妙な事を尋ねられた。
「最近弟たちを見かけないんだが、何か聞いてるか?」
兄弟は多く、たまにしか見かけない兄達も何人かいた為に、
気にも止めなかったので、静かに首を横に振った。
「……そうか、変な事を聞いて悪かったな」
溜め息混じりにそう言った兄の顔は、青白く見えた。
クロノスは頭を撫でられ、去って行く兄の背を黙って見ていた。

時が経つにつれ、一人また一人と兄弟達が姿を消した。

クロノスも成人し、街を見回る視察団の一員となった頃、
兄とウラノスが口論している現場に出くわした。
「父上と兄さん…どうしたんだろ」
柱の影で身を潜めた。

「弟達を何処へやったのです!!
 皆貴方に呼ばれてから姿を消しているそうではありませんか」
「うるさいからタルタロスへぶち込んでやったんだ。
 俺のする事にいちいち口出しするなと、言っておいた筈だ」
「昔は温厚だったのに…何を恐れてるんです」
「恐れる? この俺に恐怖などないわ。愚弄するなら御前も覚悟しておけ。
 御前達を一人残らず、タルタロスヘ落としてやってもいいんだぞ」
ウラノスの気迫に、兄は言葉を発する事が出来ずにいた。
唯黙って、父が去るのを待った。
クロノスさえ緊張が解けずにいた。最近兄達が行方知れずに
なっていたのはウラノスの仕業だったのだ。

逆らえば自分も落とされる。

神族さえも畏れ遠ざける、冥府よりも更に奥深くに存在する
奈落の世界・タルタロス。
不死の身ですら死(タナトス)が訪れ、若しくは永遠の苦痛を伴った極刑が
なされる世界。
其処への直結した入り口を呼び出せるのは王たる証。
いや、ウラノスだから為せる業か。
何故に父王はそのような行ないをするのか……
日ごとに兄達が居なくなり、次は自分かと
恐怖の足音に脅える日が続いた。


しかし、その現状にたまりかね、クロノスは兄達の制止を振り切って、
父王・ウラノスへ抗議しにいった。
「父上! 兄上達をタルタロスヘ落とすなど、何たる暴挙!」
「此の俺に刃向かうつもりか、クロノス」

――父は日に日に横暴になって来た。
確かに昔から権威を振り翳し、独断で事を遂行する事が在ったが、
結局それがいい方向へ運び、国が繁栄して来た事実も確かだ。
だから僕らは父に付いて来たのだ。なのに……
気に入らないというだけで周辺の街を枯渇させ、
邪魔だと言うだけで兄達を自力で這い上がる事が出来ない、
闇より尚深い地獄ヘ落としたのだ――

「父上の御考えには、これ以上付いて行けない!
 最早貴方に此の国を…オリュンポスを治める資格は無い!!」
クロノスは物凄い剣幕で、皇座に着く父・ウラノスを怒鳴りつけた。
絶対王制の此の国では、王に刃向かう事は即ち《死》を意味している。
例え子息だろうと例外は無い。
クロノスはそれを承知で意見した。
「貴様、誰のおかげで今迄生きながらえたと思っている。
御前だけは落とさずにいてやったのに」
ウラノスの視線に血の気が引いた。この圧倒的な恐怖感はなんだ。
一歩ずつ近付くウラノスを前に動く事が出来なかった。
これが今まで君臨して来た王の力か。
「御前だけは俺に似て美しい。御前は私の息子として相応しい……」
ウラノスはクロノスの髪をゆっくりと撫で、指先を頬へ落とすと、
顔を寄せて口接けた。
「?! 何をされるのです!!」
クロノスはウラノスを突き飛ばし、口をぬぐった。
「クククッ」
「これ以上このような行ないを続けるなら、貴方には王座から退いてもらう!」
クロノスは去り際にそう言い残し、王室を出た。
早く此の場から去りたい! それが本心だった。
怒りと恐怖が錯綜し冷や汗と震えが襲う。
自分が今何の感情を抱いているのかも判らない。

息を荒げたクロノスは自室へ戻る途中で意識を失った。


「さて、どうしてやろうか。少し遊んでやるか」


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